吉野水分神社 木造玉依姫命坐像
奈良県吉野町の吉野水分神社に伝わる国宝。建長3年(1251年)に制作された玉依姫命の神像であり、鎌倉時代神像彫刻の代表作として知られる。優美な表情と精緻な彩色を備え、日本神像彫刻史を代表する名品の一つである。
概要
木造玉依姫命坐像は、吉野水分神社に伝わる国宝の神像である。
檜材による寄木造で制作され、彩色が施された優雅な女性神像として知られる。建長3年(1251年)の墨書銘を持つため、制作年代が明確に判明する貴重な作品でもある。
穏やかな微笑と愛らしい表情には鎌倉時代神像彫刻の高い完成度が示されている。
基本情報
| 正式名称 | 木造玉依姫命坐像 |
|---|---|
| 神社名 | 吉野水分神社 |
| 所在地 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山1612 |
| 時代 | 鎌倉時代 |
| 制作年 | 1251年(建長3年) |
| 文化財指定 | 国宝 |
| 国宝指定日 | 1956年6月28日 |
| 分類 | 神像 |
| 神名 | 玉依姫命 |
| 材質 | 木造・寄木造・彩色 |
| 像容 | 坐像 |
| 員数 | 1躯 |
| 墨書銘 | 建長3年(1251年) |
玉依姫命とは
玉依姫命は日本神話に登場する女神であり、神武天皇の母として知られる。
また海神の娘であり、神武天皇へと続く皇統の祖先神として重要な存在である。
吉野水分神社では水の神や子授けの信仰とも結び付けられ、古くから篤い崇敬を集めてきた。
史料的背景
本像の内部には建長3年(1251年)の墨書銘が残されており、制作年代が明確に判明している。これは鎌倉時代神像彫刻を研究する上で非常に重要な資料である。
吉野水分神社は古代から水の分配を司る神を祀る神社として知られていたが、中世以降は子授けや安産の神としても信仰されるようになった。玉依姫命像もそうした信仰の中で大切に守られてきた。
神仏習合の時代を通じて吉野山信仰や修験道とも深く結び付いており、吉野の宗教文化を象徴する神像となっている。
歴史
本像は鎌倉時代に制作され、吉野水分神社に伝来した。
吉野水分神社は豊臣秀吉の子授け信仰でも有名であり、子守明神として全国から信仰を集めてきた。本像もその信仰の中心となった神像である。
制作から約800年近くが経過した現在も良好な状態で保存されている。
評価
本像は鎌倉時代神像彫刻の代表作として高く評価されている。
穏やかな表情や愛らしい笑窪、優雅な装束には優れた造形感覚が表れており、日本神像彫刻の最高峰の一つとされる。
制作年代が明確であることも学術上極めて重要である。
なぜ国宝に指定されたのか
鎌倉時代神像彫刻の優れた遺品であり、美術史的価値が極めて高いためである。
また、建長3年の銘によって制作年代が明確であること、保存状態が良好であることから、日本神像彫刻史を語る上で欠かせない作品として国宝に指定されている。
見どころ
建長3年銘
1251年制作であることが銘文により判明している。
優美な女性神像
鎌倉時代神像彫刻を代表する美しい女性神像である。
愛らしい笑窪
柔和な微笑と笑窪が印象的である。
彩色表現
鮮やかな彩色によって華麗な神像として仕上げられている。
寄木造技法
鎌倉時代の高度な木彫技術を見ることができる。
子授け信仰
古くから子授け・安産信仰の中心として崇敬された。
吉野信仰
修験道と吉野山信仰を背景に守られてきた神像である。
神像彫刻の傑作
日本神像彫刻史を代表する国宝神像として知られる。
鎌倉彫刻の気品
写実性と品格を兼ね備えた造形が見どころである。
鑑賞ポイント
- まず全体の優雅な姿勢を見る。
- 穏やかな表情と笑窪に注目する。
- 衣の彩色表現を観察する。
- 女性神像としての気品を感じる。
- 鎌倉時代技法の精緻さを見る。
- 子授け信仰との関わりを考える。
国宝指定されている神像(全6件)
拝観情報
| 神社名 | 吉野水分神社 |
|---|---|
| 所在地 | 奈良県吉野郡吉野町吉野山1612 |
| 公開状況 | 非公開 |
| 公式情報 | 吉野水分神社案内ページ |
